2009年06月20日

『ミスミソウ』から受け取った熱量

 『ミスミソウ』のことをご存知ない方は、まず下のリンク先を読んでおくと良いでしょう。

 「ミスミソウ」に見る、閉じた社会と壊れていく心(たまごまごごはん)
 答えと価値観の崩壊したセカイしか、見えない。「ミスミソウ」2巻(同上)


 これらの記事で気持ち悪さと恐ろしさを感じつつも惹かれてしまい、それでも1巻帯に書かれた「私は家族を焼き殺された。」という言葉を前に一度は尻込みをしてしまった作品。
 いざ買ってみると、一気に引き込まれました。
 そして、この度無事発売された3巻の結末まで辿り着き――つくづく、良い出会いだったと思っています。

 陰湿な苛めと、凄絶な惨劇。そして復讐。醜く壊れていく人間たち。
 どう考えても精神力を大いに削られ、鬱になって引き摺ってしまいそうな内容。
 であるにもかかわらず、わたしがこの作品から感じ取ったのは、凄まじいエネルギーでした。

 インクに魂を練り込んで描いているとしか思えない。
 いや、本自体は印刷所で刷られているんだから、たとえ血液だって混ぜ込めないのですが――機械による量産を経てもまだ薄まらない、作者の情念がすべての絵から滲み出してくる。そう思えてならなかったのです。
 本当に魂を削らなければ、こんな圧倒的な作品は、こんな凄味に満ちた絵は描けないんじゃないか。
 この連載が終わったら押切蓮介さんは死んでしまうのではないか。そんな不安にすらかられました。

 押切さんの絵柄はかなり独特で、一般的に見て、整った絵とはみなされないかもしれません。
 しかし、『ミスミソウ』を読んだ印象としては――物凄い画力の持ち主だ、と言わずにはいられない。
 何度も、心を鷲掴みにされました。
 作品に注ぎ込まれた熱量が半端ではないことを、確信します。

 そして、この絶望的な物語を読んで湧き上がってきたのは、怒りや悲しみ、嫌悪感よりも。
 力です。元気が湧き上がってきたのです。
 押切さんが注ぎ込んだエネルギーが、そのまま自分に注入されたかのような気分でした。
 また、「これほどの絵を見て、これほどの作品を読んで、お前はまだ「筆が乗らない」などとだらけるのか?」という思いにかられ、いてもたってもいられなくなりました。

 そうやって筆をとったからといって、自分も凄い作品が書けるかというと、そう上手くはいかないわけですが――。
 でも、とにかく無性に、創作意欲をかき立てられたんです。

 
 こんな経験はなかなかありませんし、また、こういう感想もなかなか聞きませんが、この体験も合わせて、わたしは『ミスミソウ』を称えずにはいられません。
 最悪の読後感に襲われる方も多いと思いますが、興味を持っていただけたら幸いです。
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