朝8時過ぎの住宅街。
学校へ向かう児童や生徒の姿も既に消え、通勤に使われる車も出払っている。そんな人気の少なくなった道路を走る足音が聞こえてくる。
時間が時間だ。おそらく遅刻寸前で急いでいるのだろう。
足音はだんだん近づいてくる。俺の前方にも後ろにも人の姿はないから、目の前の十字路あたりですれ違うのだろう。そんなことを考えながら足を運んでいると――
「うおっ!?」
「きゃっ!」
横方向から強い衝撃。モロにぶつかってしまったらしく、俺は後ろに倒れて尻餅をつく。
ぶつかった相手の様子を確かめようと、急いで視線を上げると……目に映ったのは、地面に座り込んだ「俺」の姿だった。
倒れた拍子に手を擦ってしまったらしく、「彼」は顔をしかめながら手の平を見た瞬間、硬直。慌てて両腕を顔の前に掲げ、服の袖を引っ張って確認。
そこでようやく、こちらのことまで頭が回ったのか、恐る恐るといった様子で、俺の方に顔を向ける。
瞳が驚愕に見開かれ、震える手でこちらを指差す。
「わ、わたしがいる――――?!」
――成功だ。
俺には、触れた相手と身体を入れ替える能力がある。
生まれつきのものではなく、ある切っ掛けによって目覚めたものだが、もはや、この能力なしの人生など考えられないという程度に馴染んでいる。
初めて入れ替わった時のことを話すと長くなるのだが、今は省かせてもらおう。
派手にぶつかったことと入れ替わりとは、別に直接的な関係はない。これは一種の偽装工作だ。
俺は彼女の名前も、家の場所も、家族構成も、よく遅刻しそうになってこの道を走っていることも把握している。この能力を使えば、怪しまれずに調べる方法はいくらでもあるからな。
そして、彼女が家を出たのを見計らって先回りをし、この十字路で「ぶつかった拍子に入れ替わる」ように仕組んだのだ。
充分に唐突な出来事だ。まさか向こうも、俺の能力によって身体を入れ替えられたなどとは考えまい。
原因不明のアクシデント。
この演出なら、コトが済んでからも、後を引きにくいはずだ。
とはいえ、一応それらしい演技は必要か。
俺はぽかんとした表情を作った後、両手で身体中をぺたぺたと触りまくる。長い髪を引っ張り、学校制服のブレザーに包まれた胸を掴む。ふむ、なかなか大きいな。当然、スカート越しに、余計なもののついていない股間も確かめる。ミニスカートから伸びた白い太腿を撫でさすり、そのしっとりとした感触を楽しむ……っと、いかんいかん。
「な、なんだ? この身体……。女の、身体? 女子高生の、制服?」
「ちょ、ちょっと、変なところ触らないでっ」
まるでオカマのような声を上げて駆け寄ってくる俺の身体。いつものこととはいえ、どうにも情けない姿だ。
「わ、悪い。けど待ってくれ。ちょっといいか?」
言いながら、俺は自分の――今は彼女の――来ている上着の胸ポケットから、携帯電話を取り出す。表面が鏡のように加工されているので、それを使って顔を確認するのだ。
勿論、彼女の可愛らしい顔はあらかじめ知っているのだから、これも演技のうちだ。
「……うわ、本当に女の子になっちゃってるよ、俺」
「わ、わたしも、鏡っ」
彼女は地面に転がったままだった自分のバッグを拾い上げると、慌ただしく中をまさぐって手鏡を取り出す。
「嘘……誰、これ……?」
今の自分の顔を鏡に映すと、呆然とした様子で呟く。そんな彼女に、遠慮がちな雰囲気を装って声を掛ける。
「なあ、俺にはその……君が、俺に――俺自身に見えるんだけど」
「……わたしも、あなたが、わたしにしか見えないんだけど」
「つ、つまり、あれか? 俺と君の身体が入れ替わった……って、こと、なのか?」
彼女の、俺の顔からさーっと血の気が引いていく音が聞こえるような気がした。
「な、なんで?! 嘘! 冗談でしょ? ね、ねえ、元に戻してよっ! わたしの身体返してっ!」
両肩を掴まれてガクガクと揺さぶられる。うわ、加減しろっての、ちょっと痛えぞ。
「わ、バカ、落ち着けって! 俺にだってわかんねえよ。それに、その声で騒がないでくれよっ」
「だ、だってわたし困るっ。こんなの嫌よっ!」
「それはわかるけど大人しくしてくれよっ。今はアンタが俺の身体を使ってるんだ。傍から見たら、俺が女の子にちょっかい出してると思われるじゃないかっ」
ここは本音だ。こんなところで騒がれて、警察を呼ばれるようなことになったらたまらない。
――もしそうなってしまったら、本当の本当に困るのは彼女だけなのだが、そこはあえて言わないでおく。
彼女もようやく理解が追いついたらしく、声のトーンを落とす。
「でも……男の人と身体が入れ替わるなんて、こ、困ります。あの、もう一回、ぶつかってみるっていうのは?」
そんなことをしても無駄なのはわかっているのだが、一回ぐらいは付き合っておかないと五月蝿いだろう。
「あ、ああ、わかったよ。こんなことが起こるなんて信じられないけど、ぶつかった衝撃で入れ替わった以外には考えられないもんな」
二人して立ち上がると、距離を取る。
お互いに向かって勢いよく走り出し――衝撃。
「痛っ、たたたた……。ど、どうなった?」
わかりきった結果を問い掛ける。顔を上げると、俺の瞳に、がっくりとした表情でこちらを見る俺の姿が映った。
「や、やだ、戻ってない……。あの、もう一度お願いします! 今度はもっと強く、えっと、頭をぶつけるようにするとかっ」
「い、いやいやちょっと待ってくれ。結構痛かったんだぞ、君の身体にとっては。それに、さっきぶつかった後、頭が痛かった憶えはないんだけど」
これ以上茶番を続けたいとは思わない。それに、実際かなり思い切りぶつかられたみたいで、ちょっとくらくらするしな。まったく、転んだ拍子に、折角の綺麗な肌に傷がついたらどうするんだ。
「でも試せることは試さないと! このままじゃ学校にも行けないじゃないですか」
「気持ちはわかるけど、せめて場所を変えようよ。さっきも言ったけど、大の男が女子高生に体当たりしてる図なんて不味いんだってば。ほら、通報されたらどう言い訳すんの。本当のことを説明しても、病院に入れられちまうかもしれないよ?」
ここまで言うと、彼女も多少は冷静さを取り戻したようだった。
「じゃ、じゃあどうすれば……」
「こんな滅茶苦茶な体験談、聞いたこともないんだから、すぐには思いつかないよ。せめて、人目につかない落ち着ける所で、じっくり考えよう。んんっと……君の家って、この近くなのかな?」
「は、はい。歩いてもそんなに時間はかかりませんけど」
「そりゃ良かった。じゃあ、案内してもらえるかな。あ、待てよ。家に残ってる家族っている?」
「いえ、うちは両親共働きなんで……」
答えてはくれたものの、あまり乗り気ではなさそうだ。
「そんなに心配そうな顔しないでくれよ。普通に男を連れ込むのとは違うんだからさ。今の俺が、君に危害を加えるなんてできないだろ? まあ、君が自分の身体を襲いたいっていうんなら、俺は警戒しないといけないんだけどさ」
「なっ……そんなこと考えてませんっ。ほら、行きますよ。案内しますから」
一瞬絶句した後、むくれた顔で歩き出そうとする彼女を呼び止める。
「おっと、その前に、ズボンの右ポケットを調べてくれないかな。ハンカチが入ってると思うんだけど」
「え……? はい、確かに入ってましたけど、これが何か?」
首を傾げながらハンカチを差し出す俺。うん、やはり男のこういう仕草ってのは可愛くないな。少なくとも俺の顔では。せめて美少年顔なら、そっちも楽しめたかもしれないのに……いやいや、そんな馬鹿な考えは後回しだ。
俺は受け取ったハンカチを、彼女の――今は俺が所有している、彼女のむきだしの膝に巻きつける。
「で、君が俺に肩を貸しながら歩けば、怪我人を送り届ける図の出来上がりってわけだ。あ、そこに落ちてる、俺のショルダーバッグも拾ってきてくれよ」
「はあ。……随分頭が回るんですね。こんな状況なのに」
感心しているような口調だから、怪しまれているわけではないのだろう。けれど、ダメ押しはしておこうかな。
「君が派手に取り乱してくれたからさ。かえって冷静になっちゃったよ」
「す、すみませんっ」
彼女は俺の顔で恥らった表情をみせると、すぐに駆け出して、道に投げ出されたままの荷物をかき集めてくる。
「さて、それじゃあ怪我した女の子の世話を頼むよ、おにいさん。お互いに悪い噂が立たないようにね」
「は、はい。それでは行きましょうか」
自分の身体に肩を貸してもらい、ぎこちない歩き方を演じてみせながら、俺は内心のニヤニヤが止まらなかった。
(つづく)
2009年02月01日
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/26156210
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック
http://blog.sakura.ne.jp/tb/26156210
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック
凄く続きが気になります。ありがちなシチュエーションを故意に生みだした男は、ここからどう展開させて、あるいは誘導していくんでしょうか……興味が尽きません。
楽しみに待っています。
わたしも更新の度にチェックしてますよ〜。ストーカーじゃないですけど(笑)
この先は、そんなに工夫を凝らした展開になるわけではないんですけどね(^^;
もし自在に入れ替わることができたら、何をしたいか?という妄想を形にしてみることにしました。
もしも自分にこんな能力が備わっていたら、同じ事をやっちゃいますねw
しかしハンカチとは芸が細かい。
でも、女の子も突っ込んでいるようにちょっと冷静過ぎかも?
とは言え、さすがにこれは分からないですね。
…女の子の身体〜♪ ハァハァw
実際にどの程度うろたえてみせるべきか、悩むところです(笑)
偶然運良く、好みの女の子と入れ替われたら何をするか。
って妄想はよくやっていましたので、「偶然を装って」好みの女の子と入れ替われたらどうするか、を書いてみようと思いました(^^)